ワーキングホリデービザで2019年の3月末に台湾に来てから一年が経ちました。
1年前の日記を読み返すと、料理を頼むのが面倒くさいとか、泊まっているAirbnbを早く出たいとか、東京タラレバ娘を一気読みしたなど、せっかく台湾に来たのにそこまで楽しめていない様子が伺えます。笑
では今現在はどうなのか…。
なんと言っても新型コロナウイルスの猛威で生活が一変しました。
台湾では都市封鎖とまではなっておらず、ほとんどこれまでと変わらない日常生活を送れてはいますが、各自が自粛をしているところです。
私も土日は遠出はしないですし、人と集まることもほとんどありません。
日本語世代の方々の集まる勉強会も定期的に参加していたのですが、集まり自体が中止になっておりとても寂しく思っています。人に会って話が聞けない現在、これでは何のために台湾に来たのだろうかと自問したりもしています。
まあ現状はこのくらいにして、この1年を振り返っていきましょう。
一番がんばったこと
就労ビザの獲得
1社目のインバウンド関係の会社ではビザをもらえるよう懸命に働きました。もうほんと、健気だったよね…。
「ここで働き続けるのはやめておこう」と決意してからの行動力は自分でも褒めてあげたい。人材紹介会社への登録、Twitterでの現地採用の人々へのインタビューからの、転職先を見つけて働き出すというのを3ヶ月でやりました。楽じゃなかった…。
コネがない自分には台湾の転職は希望が見えず本当に楽ではありませんでした。
反省点
仕事に慣れてきたところで転職を考え始めたので、落ち着く暇がなかったです。じっくり思考したり、スキルを身に着けるとか、日常を楽しむ余裕がなかったのが今となるともったいなかったと感じます。
この1年の出来事TOP10
- 転職した!就労ビザGet!
- 新型コロナウイルス大流行により帰省できず
- 1社目の会社は中文を鍛える日々だった
- 同世代の仲間との出会い
- 4月の辛酸を舐める日々
- お金を払って本を読むようになった
- 沖縄で台湾との繋がりを見る
- 自分でまちあるきを開催
- 動画を三日坊主で終える
-
ミャンマー街との出会い
No.1 就労ビザをGet!
台湾ワーホリ 10ヶ月目の記事で転職したことを書いたのですが、試用期間を経て1ヶ月ほどで就労ビザを出してもらえることが決まりました!!
これまでのキャリアとは接点のない業界で仕事内容も未経験のもの。
でも前のインバウンド業界のアシスタントの仕事よりチャンスが多いと思ったのです。
前の仕事は台湾人のお客さんとのやりとりが多く、台湾人の同僚に中文をいちいち確認してもらわないといけなくて、仕事を自分1人で完結できないのが辛かったです。中国語ができないことでずっと半人前のプレッシャーを感じていました。この歳でアシスタント職では仕事は楽だけどキャリアが積めないなと。
今の仕事は日系の会社で、中国語のレベルは今くらいでも仕事上は問題ないです。
中国語ができないことでプレッシャーを感じるということがないのでその点はストレスが減りました。電話を取らなくていいのが本当にありがたい!
No.2 新型コロナウイルス大流行により帰省できず
ワーホリビザが切れるタイミングが3月中旬でその頃の帰省を考えていたのですが、その時期台湾では海外からの渡航者に対するノービザ渡航の停止を始めていました。
日本がビザ停止対象国になるのも時間の問題だったため、出国の日程を繰り上げて、さらに当初買っていた富山空港行きの航空券を沖縄行きに切り替えたのでした(富山行きは欠航便が多く、行っても戻ってこれない可能性もあったため)。
No.3 ワーホリ前半は中文を鍛える日々
台湾に来てから最初に勤めた会社ではアシスタント職をしてました。
入社してすぐ、中国語でかかってくる電話を取るように言われ、電話を取っても会社の名前や内容を聞き取るのが難しく「不好意思,我的中文不好。可以再說一次嗎」と言って何回も聞き返したりしてました。
心折れることもしょっちゅうだったのですが、業界的に相手が日本語ができる場合も多く、日本語に切り替えて話してくれる優しい人もいてそういう人に当たると癒されたりしました。
1日で50社近くに電話をかけないといけないこともありました。電話をかける前は「嫌だな〜」と腰が重いのですが、腹を括ってしまえば何とかあとは無になって電話をかけ続ければよいので、嫌でも慣れました。
当時は必要に駆られて電話対応メモとか作ってましたが、いま振り返るとがむしゃらに頑張っていたんだなと思います。
No.4 同世代の仲間との出会い
大学時代の恩師の研究を台湾で時々手伝ってまして、その関係で台湾の文化保存を専門としている同世代の友人と出会いました。
友人は調査のために台湾中を駆け回っていて、ハツラツとしていてパワフルで資金調達能力もある、すごい人なのです。台湾の文化保存の分野できっと大物になるだろうと私は睨んでいます。同世代でこんな風に頑張っているのを見ると、自分も頑張らなきゃなと思うのです。
No.5 4月の辛酸をなめる日々
1年の中で一番キツかったのが、仕事し始めでかつ住む部屋がまだ見つかっていなかった4月ですね。
Airbnbとゲストハウス暮らしは楽じゃなかった…。ひどいシェアハウスにも当たったちゃったし。
仕事と部屋探しは焦りは禁物です。まじで。
当時の苦労話は記事「台湾でのシェアハウスの探し方を方法別に解説します」に書いてあります。
No.6 お金を払って本を読むようになった
転職先の会社が読書を推奨している会社で、本を読むようになりました。
理想は1日1時間読書の時間を取りたいのですが、そこまではまだ時間は取れてないです。
会社から提供される本以外に、AmazonのKindleで自分でお金を出して本を買うようになりました。
前はそこまで本を買うことはなかったので、大きな変化ですね。
No.7 沖縄で台湾との繋がりを見る
沖縄旅行よかったな…とまだ余韻に浸っています。笑
今年の3月に行った沖縄は久しぶりに興奮しました。
日本だけど知らない、理解できないことが多くて言語化できないモヤモヤが出てきました(良い意味で)。
台湾に戻って来てから寝る前に沖縄で買った沖縄の本を読んでいたのですが、「これってこういうことだったのか!」ということが多くて謎が解けていく感じが楽しかったです。
日本語で情報収集できる幸せよ。旅行後にも楽しめたことが久しぶりの体験でした。
詳しくは記事「沖縄を歩いて島の歴史を織り上げてきた痕跡を見る」からどうぞ。
No.8 自分でまちあるきを開催
一度だけではありますが、やりたかったまちあるきができたのはよかったなぁと。
参加してくださった方々が楽しそうにしてくれていたことと、いつもお世話になっている元炭鉱マンのおじちゃん達にもお礼ができたことがうれしかったです。
この1年で自分がした目に見える成果はこのくらいかなぁ。
No.9 動画を三日坊主で終える
Youtubeを始めたけど動画を4つ投稿したら終わりました。笑
始めるのは簡単だけど継続は難しいです。
No.10 ミャンマー街との出会い
台湾在住のamikawaさんのTwitter投稿で目にしていたミャンマー街に行ってみたところ、ハマりましたね。
私にとってミャンマー街は癒やしです。ホームです。
食べ物は美味しいし、自分の顔を知ってくれているラオバンがいる。
馴染みの店があるというのはこういう安心感があるのですね。
旺旺来亜洲咖哩屋さんのチキンカレーが食べたくて来てしまった。ミャンマー街にて pic.twitter.com/uJjg9wrxKq
— ばななのな@台湾 (@kananbe90) April 3, 2020
今後はどうするのか
台湾には引き続きいられることになったので、いろいろやりたいなぁとは思っています。ただ、じゃあ具体的には何をするのかという部分はまだふわっとしております。
とりあえず1年後は、日本に帰省することができているといいな。
日本に旅行にも行きたい。韓国にも行きたい。3月に韓国ドラマ「愛の不時着」にどハマリし、韓国と北朝鮮に行きたい欲が強まっているのです。
【台湾にワーホリに来て○ヶ月シリーズ 2019】
【台湾で中国語を学んで○ヶ月シリーズ 2016】
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