こんにちは!台湾に住んで丸6年のコヤマです。
台湾は、九州ほどの面積に2300万人が暮らす島国。大国の歴史や政治の渦中に常にあって、日本とも深く結びついてきました。台湾を深く知るほどに、日本が思いがけない形で見えてくるーー知れば知るほど面白いのが台湾の魅力だと思います。
「今の台湾」は、いかにして形作られたのか。 その足跡を辿り、日本との特別な関係、そしてアジア全体の姿を再考する旅に出てみませんか。
目次
台湾の歴史を体系的に学ぼう!
国立台湾歴史博物館(國立台灣歷史博物館)@台南
台湾の旧石器時代から中国の清朝、日本統治時代、戒厳令時代、現代に至るまでを包括的に学べる博物館です。資料も文献だけでなく、人形模型や映像、音声もあり五感で歴史の流れを感じることができます。
日本語のオーディオガイド(有料)も質が高いので、できればレンタルしたいところ。すべて聞くと2時間では終わりません。館内をじっくり見るなら少なくとも4時間は確保しておきたいです。
国立台湾歴史博物館(國立台灣歷史博物館)
住所 臺南市安南區長和路一段250號
詳細(公式HP):https://www.nmth.gov.tw/
日本統治時代を考える
1895年から1945年の約50年間に渡り日本の統治下に置かれた台湾。台湾の各地に日本統治時代の痕跡が残っています。その中でも影響力の大きさを感じる場所をご紹介します。
総統府(旧台湾総督府)@台北
中華民国政府の官邸。日本統治時代に建てられ、戦時中は空襲の被害にあったもののその後に修復され現在も使われています。 台湾の街を歩いていると、日本統治時代に建てられた建物の立派さに驚きます。
総統府はまさにその代表格。日本がいかに植民地統治に注力していたのか、その姿勢を感じます。 建物の中は見学可能で、資料スペースもあります。平日は一般開放していますが、土日は公開日が決まっているので、Webサイトでご確認ください。
総統府
台北市中正區重慶南路1段122號-三號門(位於寶慶路與博愛路口)
https://www.president.gov.tw/Page/124
台湾糖業博物館(橋頭糖廠)@高雄
日本統治時代の主要産業であった製糖業。多くの砂糖が日本に輸出されました。
砂糖を製造する工場がほぼ廃墟の状態で残されており、中に入ることができます!(合法廃墟と筆者は呼んでいます)
ただただ機械の大きさに圧倒され、当時の製糖業の勢いを感じることができます。
台湾糖業博物館(橋頭糖廠)
住所 高雄市橋頭區橋南里糖廠路24號
詳細(HP):https://khh.travel/zh-tw/attractions/detail/211/
『台湾糖業博物館』は操業当時の姿がそのまま残る産業遺産だった【高雄】
莫那魯道紀念公園(霧社事件紀念公園)@南投
日本が統治していたということは、統治された側の人たちがいるということを忘れてはいけません。
1930年に原住民族のセデック族約300人が台湾総督府に対して蜂起し日本人を殺害するという事件が起こりました。 蜂起したセデック族は台湾総督府によって制圧され、生き残った人々は川中島というところに強制移住させられました。
この記念館自体におすすめの何かがあるというわけではないのですが、この場所に日本人が行って原住民の人々が蜂起に至った背景を考えることに意味がある気がします。
霧社事件を元にした映画「セデック・バレ(賽德克·巴萊)」を見てから行くと抗日事件の背景とどんなことが起こったのかを想像しやすいと思います。
映画「セデック・バレ(賽德克·巴萊)」2011
莫那魯道紀念公園(霧社事件紀念公園)
南投縣仁愛鄉仁和路4號
https://taiwan-shugakuryoko.jp/spot_central/858/
戦争と戦後補償問題を考える
戦争と和平記念公園主題館(戰爭與和平紀念公園主題館)@高雄
台湾籍元日本兵の一人であった許昭榮さんが中華民国政府に対する抗議の一環として、焼身自殺を遂げた場所に位置する資料館です。
日本統治時代の太平洋戦争の頃には、台湾人を日本人として育成することを目的とした皇民化運動が行われました。この政策により、多くの台湾人が日本人として教育され、約20万人の台湾人が日本兵や軍属として戦地に動員されることになりました。しかし、戦後台湾は中華民国の領土となったため、台湾籍日本兵や軍属に対する戦後補償問題は長らく棚上げにされ、現在も解決されていません。
また、当時の台湾籍日本兵の中には、戦争の終結後、共産党軍や国民党軍に強制的に動員された人々もいました。彼らがどの軍に所属し、何と戦ったのか——それは台湾という地が歴史に翻弄され続けてきた現実を物語っています。
許昭榮さんがなぜ焼身自殺という形で抗議をするまでに至ったのか、ここを訪れた際に考えてみてください。
戦争と和平記念公園主題館(戰爭與和平紀念公園主題館)
高雄市旗津區旗津二路701號
https://warpeace.khm.org.tw/index.aspx
阿マの家 平和と女性人権館(阿嬤家和平與女性人權館)@台北
台湾の従軍慰安婦の資料館です。女性たち一人一人の生い立ち、なぜ従軍慰安婦となったのか、その後の生活が資料となっています。彼女たちの人生を思うと言葉が出てきません。
彼女たちが従軍慰安婦にされたのは太平洋戦争の時で、日本はこの問題の当事者です。
加害者としての日本軍の存在を知ると目を背けたくなるような事実が突きつけられると思いますが、日本人として、国際社会で生きる人間として知っておくべきことがあると思います。
阿マの家 平和と女性人権館(阿嬤家和平與女性人權館)
臺北市大同區承德路三段32號5樓
https://www.amamuseum.org.tw/tw
白色テロの時代を学ぶ
戦後台湾にやってきた国民党政権は1947年の二二八事件発生後、戒厳令を発令。1987年に解除されるまで、国民党政権による市民らへの不当逮捕や言論弾圧(白色テロ)が40年も続きました。
言論統制や憲兵らによる厳しい取り締まりが行われ、多くの市民が投獄、処刑されたのです。民進党による政治が安定していく中で、移行期正義というそれらの時代を省みる動きが始まり、博物館が整備されいます。
台北二二八紀念館@台北 #現在修繕中。2025年2月28日再開予定
台北で起きた二二八事件を中心に扱っています。 二二八事件は闇煙草を売っていた女性に対して警察が不当な処理を行ったことが発端となっています。その最初の部分も詳しく紹介されています。
台湾二二八事件と中央大学~虐殺に遭った卒業生達~
台北二二八紀念館
臺北市凱達格蘭大道3號
https://228memorialmuseum.gov.taipei/
二二八国家紀念館(二二八國家紀念館)@台北
二二八事件をきっかけに国民党への対抗運動は台湾全体に広がりました。 白色テロと言われる政治的弾圧が台湾全土にどんな影響を与えたのかが分かるような展示がされています。
二二八国家紀念館(二二八國家紀念館)
臺北市南海路54號
https://www.228.org.tw/
国家人権博物館 白色テロ景美紀念園区(國家人權博物館 白色恐怖景美紀念園區)@新北
白色テロの時代に政治犯として捕まった人々が収容されていた場所が博物館になっています。
収容生活がどんなものだったのか元収容経験者の方に聞くと、こんなことがあっていいのかと驚くほどの人権侵害に愕然としました。
湿気と暑さで悪臭漂う部屋にぎゅうぎゅう詰めにされ、水の供給場所もトイレと同じ、ここには書けないような拷問もあり…という劣悪な場所だったそうです。 ただ、こうした人権侵害が単純に過去の出来事とも思えないのです。
台湾白色テロ時代の負の遺産『国家人権博物館』で人権を考える
国家人権博物館 白色テロ景美紀念園区(國家人權博物館 白色恐怖景美紀念園區)
新北市新店區復興路131號
https://www.nhrm.gov.tw/w/nhrm/JMParks
戦没者慰霊施設を訪問する
台北 忠烈祠(國民革命忠烈祠)@台北
国民革命、中華民国の建国、日中戦争、共産党との内戦で犠牲となった英霊の慰霊施設です。ざっとみたところ「抗日」で亡くなった方の位牌が30%以上を占めていました。
あくまで”中華民国”の慰霊施設なので、戦没者として紹介されている人は中国大陸出身の人が多いなという印象です。
台北 忠烈祠(國民革命忠烈祠)
臺北市中山區北安路139號
https://afrc.mnd.gov.tw/faith_martyr/
潮音寺 @屏東
太平洋戦争中に台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡で亡くなった人たちが弔われているお寺です。
バシー海峡は現在でも非常に重要な輸送ルートで、太平洋戦争時には米国の潜水艦の爆撃で多くの輸送船が沈没させられました。10万人以上の方が亡くなっていると言われています。
乗っていた船が爆撃を受け12日間も海を漂流し奇跡的に生還を遂げた中嶋さんがバシー海峡で戦死した戦友たちのためにその半生と私財を投じて建立したお寺です。日本人だけでなく台湾人や朝鮮人の方も供養されています。
お寺は交通が不便な場所に位置しており、事前に連絡して鍵を開けてもらう必要があります。またお寺の中に資料があるわけではありません。慰霊にご興味のある方は年に一度行われているバシー海峡戦没者慰霊祭にぜひご参加ください。
バシー海峡戦没者慰霊祭で青い海に手を合わせる
潮音寺
屏東縣恆春鎮下泉路72号
http://choonji.org/desktopdefault.aspx?portalid=1&panelid=16&tabindex=0&tabid=183
独裁者のその後を考える
中華民国の初代総統である蒋介石の評価については諸説あるかもしれませんが、独裁者と言っても問題ないでしょう。
圓山大飯店(圓山ホテル)@台北
蒋介石の妻の宋美齢が1952年に建てたホテルです。赤い中華風な建物はMRTの車窓からもみえ、バリバリの威風を放っています。ここにはかつて台湾神社が立っていました。
地下には脱出用トンネルがあり、現在ツアーに申し込むと見学可能です。
圓山大飯店(圓山ホテル)
台北市中山區中山北路四段一號
https://www.grand-hotel.org/JP/official/main.aspx
慈湖紀念雕像公園(慈湖紀念雕塑公園)@桃園
蒋介石の銅像が200体以上も並べられている銅像の墓場。
かつては台湾全土の至る所に設置されていた蒋介石の銅像は民主化の流れにより撤去され、この地に集められました。その光景はなんとも不思議な空間となっています。蒋介石の銅像だけでなく、孫文や蒋介石の息子の蒋経国の銅像も混ざっているので探してみてください。
敷地内の慈湖陵寝には蒋介石の遺体が安置されています。自分が死んだら中国南京に埋葬してほしいという遺言を元に、埋められることなく浮いた状態で安置されています。
慈湖紀念雕像公園(慈湖紀念雕塑公園)
桃園市大溪區復興路一段1097號
https://travel.tycg.gov.tw/zh-tw/travel/attraction/376
蔣経国の記念博物館(七海經國文化區)@台北
蔣経国は蔣介石の長男で、大陸奪還のため疎かになっていた台湾の国内のインフラ整備を進めた人です。 展示を見終えると蒋経国が「質素で愛妻家な好々爺」というイメージになるように作られていました。笑 ←
戦後に国民党と共に台湾に来た外省人ルーツの人たちには、自分たちのルーツを子どもや孫に教えるよい施設だと思いました。蔣経国の生い立ちを辿ることで、彼らがどんな風にして台湾に渡り、どんな社会で暮らして来たのか分かるようになっています。実際に見学者の中には外省人らしき家族が多く見受けられました(高齢者の方の中国語の発音から判断)。
施設のうち七海寓所(蒋経国の元住居)は時間ごとに定員が決まっている事前予約制です。また、陳列廳(資料館)は決まった時間にガイドがあります。中国語にはなりますが、ボランティア解説員の方も熱心なので時間が合うようならガイドを聞くことをおすすめします。
七海經國文化區
臺北市中山區北安路301號
https://ccklibrary.org.tw/w/zh_tw/index
台湾の外省人について学ぶ
戦後に中国大陸から台湾にやってきた移民を総称して外省人と呼びます。
主に国民党の兵士とその家族が住んだ宿舎を眷村(けんそん)といい、台湾人が自らの歴史を学ぶ流れの中で昨今資料館の整備が進んでいます。
台湾各地に眷村があり、その跡地を利用した資料館がここ数年増えたのですが、同じような展示の場所も多いです。ここはというところをご紹介します。
再見捌捌陸台湾眷村文化園区(明徳新村)/再見捌捌陸-臺灣眷村文化園區@高雄
高雄左営駅近くの明徳新村は日本統治時代は海軍の将校宿舎が立ち並ぶエリアで、戦後に中華民国海軍の眷村となりました。
国民党軍が流れ流れて台湾にやってくる様子を見ると、彼らもいろんな事情があったのだなと考えさせられます。 この眷村はとても広いエリアでまだ修復されていない建物も周辺にあるので、自転車でサイクリングがてら見てみると楽しいと思います。
再見捌捌陸-臺灣眷村文化園區
高雄市左營區明德新村
https://mingdevillage.khm.org.tw/
異域故事館(事前予約制)@桃園
異域とは、中国の雲南省、ミャンマー、タイの国境地帯を指します。ゴールデン・トライアングルとも言われ、世界最大の麻薬密造地帯でした。国共内戦の結果、国民党の一部の部隊がこの国境地帯に駐留しました。しかし、大陸奪還を果たすことはなく、最終的に約1万1000人が台湾各地に移住しました。「異域孤軍」と言われる部隊の歴史や台湾移住後の暮らしが紹介されている資料館です。
異域故事館
桃園市平鎮區中正一路2-24號
https://tinybot.cc/gtcf
南機場夜市@台北
日本統治時代には練兵場、臺北南飛行場があった場所で、現在は夜市が立っています。
戦後大量の移民が移り住みバラックが立ち並び、1964年に国民住宅と言われる集合住宅群が建てられました。部屋が狭いため住民が各々増築を重ね、独特の景観を生み出しています。現在は夜になると一階部分に屋台が立ち並び賑わっています。
集合住宅は夜市だけでなくその周辺にもあります。少し歩くだけで、市井の人々の剥き出しの生活感を感じることができる場所です。ただ2027年に近くにMRTの駅が開通する予定なので、この雑多な雰囲気はまた変わってしまうかも知れません。
南機場夜市
台北市中華路二段313巷30號
https://www.nanjichang.com.tw/
戦争遺産と中国の近さを感じる
金門島
社会派旅行にはなんと言っても金門は外せません。
海の向こうにはっきりと見える中国の街並み。望遠鏡を使えば人が見えます。この中国との距離感と緊張感は体験したいところ。
戦争に備えて掘られた大きくて長い坑道がいくつもあります。翟山坑道は特に美しかったです。
この時の話はブログにしていますので、よろしければご覧ください。
戦争の島「金門」で対岸を間近に望み、生粋の中華民国を知る
鉄道を通じて台湾を知る
国立台湾博物館 鉄道部園区(國立臺灣博物館 鐵道部園區)@台北
鉄道が好きな人はもう知っているだろう有名スポット。 鉄道ファンじゃなくても2時間は楽しめると思うくらいに内容が濃いです。
國立臺灣博物館 鐵道部園區
臺北市大同區延平北路一段2號
https://www.ntm.gov.tw/cp.aspx?n=5440
国家鉄道博物館準備処(國家鐵道博物館籌備處)*要事前予約 @台北
1935年から2013年まで使われた鉄道工場です。台北市内にここまで大きな工場を今も残しているというのがすごい。2025年に博物館として本格的にオープンする予定とのこと。
事前にツアー予約をすると工場の中を見学できます。非常に広くてワクワクしますし、廃墟好きにとってはところどころ萌えるスポットがあります。博物館となると綺麗に整備されすぎてしまうのではないかと心配しています。
國家鐵道博物館籌備處(臺北機廠鐵道博物館園區)
北市信義區市民大道5段50號
公式サイト https://www.nrm.gov.tw/
紹介サイト https://www.abic.com.tw/place/view/id/12425
身近に見える外国人労働者
台湾も少子高齢化が進んでおり、外国人労働者の受け入れも進んでいます。
公園に行くと高齢者に付き添ったインドネシアのヘルパーの方々が談笑している様子を見かけます。
週末の台北駅の広場には外国人労働者の方々が集まり、ご飯を広げておしゃべりをしている様子を見ることができます。初めてみた時は驚きました。
台北駅の地下出口Y26(北門駅近く)や台北駅東側にインドネシア料理の店が集まるエリアがあります。そちらもインドネシアの人たちが多くいます。
台北駅の地下出口Y26(北門駅近く)インドネシア街https://maps.app.goo.gl/qkXiLUG3R9zhjKJNA
台北駅東側インドネシア街 https://maps.app.goo.gl/jFnoXch8wmPnVAyaA
エネルギー政策から台湾を見る
台湾電力北部展示館 @新北
台北から車で1時間半ほどのところに原子力発電所の資料館があります。台北までは約20kmという近さ。
台湾の原子力発電所で稼働中なのは屏東にある核三廠2號機のみです。それも2025年5月に終了となります。台湾の発電の燃料の中で原子力が占める割合は約3%(2025年1月15日現在)。そのあとはどの燃料で補うのでしょうか。
台湾北部の原発資料館で存在の”近さ”を知る
台湾電力北部展示館
新北市萬里區野柳里八斗六十號
https://service.taipower.com.tw/wapp4/nsis/north/exhibition.html
地質及礦業文化推廣教室-猴硐礦工文史館(猴硐炭鉱夫歴史資料館)@新北
現在「猫村」で有名な猴硐はかつて台湾最大の産出量を誇る瑞三炭鉱で栄えた場所でした。
ここの文史館はなんと言っても元炭鉱夫のボランティアスタッフの方々が直接解説してくださるのが魅力です。
日本の炭鉱は戦後機械化が進み、現在見学できる場所も大型の機械類が残っていますね。
一方で台湾の炭鉱は石炭層が薄いため機械化が進まず人間の手によって掘られる方式が後年まで続きました。皆さんが割とイメージしやすい薄暗い坑道内を這って掘るイメージそのままです。それゆえに坑道内の労働環境は非常に過酷なものでした。
「坑内に入ったら無事に戻って来れるか分からないから、みんな出勤前は顔がこわばっていた」とか、「マスクをしないと粉塵で肺がやられるけども、マスクをすると汗で窒息しそうになるからマスクを外して作業しないといけなかった」とか、「坑内事故で助けに入った時の遺体の腐った臭いが鼻に染み付いて、肉をしばらく食べられなかった」など資料だけでは分からない話を聞くことができます。解説は中国語と台湾語のみとなります。
地質及礦業文化推廣教室-猴硐礦工文史館
新北市瑞芳區柴寮路25號
https://www.facebook.com/profile.php?id=61560045326938
宗教から見る台湾の人々
媽祖様
台湾人は非常に信仰心の厚い人々と言われています。
それを知るためにおすすめなのは台湾人気ナンバーワンの媽祖様のお祭りに行くことです。
旧暦の3月23日は媽祖様の誕生日で台湾各地で賑やかなお祭りが催されます。
台湾最大規模の媽祖のお祭り!台中の「大甲媽祖遶境進香(大甲媽祖巡行)」の見どころと楽しみ方
仏光山仏陀記念館(佛光山佛陀紀念館)@高雄
全てが!巨大で!人も優しくて!めちゃくちゃ楽しい!仏のアミューズメントパーク。そんな場所でした。笑
仏様が安置されている部屋がいくつもあり、一つ一つコンセプトが違ってワクワクします。
このスケール感は非常に中国大陸的だなと思っていたら、創始者の人が中国の江蘇省から台湾にやってきた外省人だったので納得。
佛光山は仏教系の新興宗教ですが、変に勧誘されることはありませんでした!
佛光山佛陀紀念館
高雄市大樹區興田里興田路153號
https://www.fgsbmc.org.tw/tw/visit-main.aspx
慈濟グループ
花蓮で大きな地震が起こった際に、体育館の避難所の様子が日本で称賛されたことがありました。あれは慈濟という花蓮に本部を置く仏教系の新興宗教団体が供出したものです。病院や大学もグループにある大きな組織です。
私も行ったことはないのですが、本部のある花蓮の慈濟靜思堂は見学も可能なようです。
慈善事業の様子を写したドキュメンタリーもあります。
慈濟靜思堂
花蓮縣花蓮市中央路三段703號
https://smiletaiwan.cw.com.tw/article/3953
気になっている場所
下記の場所は私は行ったことないのですが、社会派旅行として行ってみたい場所です。
TSMC台積創新館 *要予約 @新竹
熊本への半導体工場進出で日本でも有名になったTSMCの資料館。
台湾の半導体を世界でもトップレベルにまで引き上げたモリス・チャン (張忠謀)さんの紹介展示が個人的には気になります。
新竹科學園區力行七路1號
https://www.tsmcmoi.com/ch
九二一地震教育園区 @台中
1999年9月21日未明に発生した台湾中部の南投県を震源とする巨大地震(921大地震)の遺構が残されています。
地震の遺構をどのように残していくのかという観点で見てみたいです。
臺中市霧峰區坑口里新生路192號
https://www.nmns.edu.tw/park_921
澎湖島 戦争遺産
日本軍が連合国軍と戦うために作った戦争施設が戦後国民党によって使い続けられ、現在も多くそのままの形で残っているとのこと。
馬祖列島 戦争遺産
金門と同様に中国を目前に控えた島々。共産党との戦いのために軍事基地として整備された島です。
https://www.moc.gov.tw/jp/News_Content2.aspx?n=322&s=5466
國際終戰和平紀念園區(金瓜石捕虜収容所跡)@新北市金瓜石
九分近くの金瓜石にあった捕虜収容所跡地。
太平洋戦争時にシンガポールやフィリピンから4300人を超える連合国軍捕虜が台湾の16の捕虜収容所に送られたそうです。
金鉱山のある金瓜石では戦争により人手不足になった際、戦争捕虜が十分な食糧や医療を受けられないまま採掘に駆り出されたとのこと。毎年11月に追悼式が行われています。
國際終戰和平紀念園區
新北市瑞芳區金瓜石祈堂路40號
https://newtaipei.travel/zh-tw/attractions/detail/110892
まとめ
いかがだったでしょうか。 いずれも「ここぞ」という場所を書いてみました。 今回紹介した以外ももっとスポットを知りたいなという人は「みんなの台湾修学旅行ナビ」さんを覗いてみてください。好奇心をくすぐられるスポットが網羅されています。