教会になった神社「新城神社(天主堂)」建立の裏側にあった事件とは

01.台湾の歴史を知る

日本統治時代の神社が「教会になった」というのは耳にしたことがあった。

日本が台湾を統治してから建てた68社の神社は、天皇を中心とした天皇主権国家を作るための、権力の象徴だった。

そんな神社は、戦後国民党の統治の時代に壊されたり、転用されて残されることとなる。

忠烈祠として転用されたものは見に行ったことはあったが、教会になったというのはまだ見たことはなかった。

神道の神社がキリスト教の教会になったとは一体どういうことなのか。気になった。

新城神社(天主堂)

台北から台湾鉄道の特急に乗り2時間、そこから車で30分ほど行った所に「新城」という地区があります。

新城は元々は台湾原住民のタロコ族とアミ族が住んでいる土地でした。

その新城地区に新城神社の跡地はあります。

鳥居の上に「天主教會」と書いてあり、ここはカトリックの教会敷地内ということことが分かります。

参道を進むと二つ目の鳥居が見えてきました。狛犬も残されています。

本殿跡には聖母マリア像が立っていた

本殿があった場所には、なんと聖母マリア像が立っていました。

日本統治時代が終わり日本が去ってから、本殿部分は破壊され、その他の石灯籠や狛犬は放置されていました。

しかし1960年にスイス人の神父によってこの聖母マリア像が立てられました。

神を祭る本殿にマリア像が立っているというのは、日本ではまず見ない光景でしょう。見慣れているものとは違うからこそ、違和感が残る。その違和感ゆえに印象が強烈に残ります。

でも意外とすんなり受け入れられました。そんなに変ではないといいますか、ちょうどよい場所に収まっているといいますか、そこまで驚いていない自分がいました。

本殿があった時(1937年頃)と聖母マリア像の現在の様子の比較図が置いてありました。

門の柵に十字架のマークが

一見、このように普通の鳥居も…

柵が付いていて、その上に十字架があしらってあります。鳥居も普通のゲートなんですね。

異空間な礼拝堂

1960年に聖母マリア像が立てられた後の1964年に礼拝堂が建てられました。

この礼拝堂が、あっと息を飲む空間でした。

静寂に包まれており、空間に入った途端にどこからか聖なる音楽が流れてきました。ステンドグラスが外から入る光を柔らかくします。目が自然と中央の十字架に留まります。

自然と厳かな気分になる、礼拝堂がそういう意図を持った装置として作られていることが分かります。

浮世からひとときの間だけ離れられる異空間。何時間でもいられるような、そんな空間でした。

礼拝堂の入り口の脇に石灯籠と狛犬という、これもまたここだからこそ見れる風景です。

ノアの箱舟をモチーフにしたという礼拝堂。蔦に覆われていて中に入るまで何の建物なのか分かりませんでした。

見落としてしまいそうな場所に、石碑のようなものがありました。

どうやら、この神社の成り立ちに関係があるようです。

神社は台湾原住民と日本軍との戦いの後に立てられていた

台湾が日本の統治下になってまもなくとある事件が起こりました。

明治29年(1896)12月、新城地区の原住民を監視していた日本兵がタロコ族の女性をレイプし、それに怒ったタロコ族の人々が日本兵の兵舎を奇襲し13人を殺害し他のです。

これを「新城事件」と言います。

この事件は禍根を残し、後の1914年のタロコ事件まで尾を引きずることとなりました。

そして日本は原住民との戦いの犠牲者となった日本兵を悼むために大正9年(1920)に「殉難將士瘞骨碑」を立て、昭和12年(1937)に神社を立てました。

こうした事件の背景には、厳しい政策によって苦しめられていた原住民の人々の不満があります。

日本による台湾の統治が始まってから、原住民の人々が暮らす集落には警察官が派遣され監視が行われました(理蕃政策)。

原住民の人々の文化や暮らしを尊重しない政策を行い、さらに横暴な警察官の存在や厳しい労働が原住民の人々に課せられたこともあり日本に反発する抗日事件が多く発生しました。原住民と日本側双方に多くの犠牲者が出ています。

この新城地区も例外ではなかったということに驚きました。

目をそらしてしまいがちな、抗日事件

戦後の国民党がどういうことをしたのか、228事件や白色テロなどについてばかり目がいきがちで、

日本がしたこと、それによって何が起こったのかということは見ないようにしてしまうところがある気がします。

日本統治下において、台湾の道路や教育などのインフラが整備されたということの一方で、台湾の多くの人々が抵抗したこと、そして日本軍との戦いで亡くなっていることを忘れてはいけないと思いました。

 

【2019年8月18日訪問】

 

参考:

花蓮県文化局 https://www.hccc.gov.tw/zh-tw/CulturalHeritage/Detail/11

フォーカス台湾 教会になった日本統治時代の神社跡 今なお残る鳥居や狛犬/台湾

れきたびcafe タロコ渓谷歴史探訪1日ツアー(馨憶精緻民宿主催)その2 新城神社(天主堂)

新城事件歷史現場變遷  https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/4711957159.pdf

Information

新城天主堂(旧新城神社)

住所 花蓮縣新城鄉博愛路64號

URL:https://tour-hualien.hl.gov.tw/POI/35

スポンサーリンク