ただ、私が今回新竹に行ったのはハイテク産業を見るためではありません!
そう、かつてあった新竹神社の痕跡を見るために来たのです。
新竹神社とは
1918(大正7)台湾新竹市にかつて建てられた神社。北白川宮能久親王が1895(明治28)年に兵を率いて新竹尖筆山に攻め入った際、この地に陣を張り駐屯したことから、「御遺跡地」として神社が建立された。新竹神社があった場所は現在、難民や密航者を収容する施設(中国人民処理センター)になっている。
中国人民処理センターの中を見学できないのは本当に残念です。
ただ、聞いたところによると、神社にあった石灯籠や手水舎などは他の場所に移設されたとのこと。ということで、移設された場所に行ってきました!
青草湖霊隠寺
車がないと不便なところにある霊隠寺。こちらには石灯籠と水鉢が移設されました。
書いてある文言は国民党時代にコンクリートで塗りつぶされたようです。はっきり見えますが。
こちらは手水舎(ちょうずや)。水は出てこないようになっています。手を清められないのに、なぜここに置いてあるのでしょうか…。
紀元二千六百年とは何か
手水舎の表面に書いてある「紀元二千六百年」という年号。あまり聞き慣れないですよね。私も最初見たときは台湾の年号かしらと思いました。ですが、調べてみると日本のものでした。明治政府が定めた日本独自の紀元のようです。
「建国記念の日」ってありますよね?毎年ある2月11日の祝日です。この日が日本神話の登場人物であり古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日とされていて、その年が紀元元年とのことです。
1940年(昭和15年)。神武天皇が即位して2600年(紀元二千六百年)ということで、外地を含む日本全国で神社で例祭、展覧会、体育会などの行事が行われました。その当時は日中戦争が長期化し国民の生活も貧しく苦しい状況が続いていて、その憂さを晴らす意味でも行事が行われたそうです。万国博覧会を開催する計画もあったとか。
まさかその日本の国を挙げての大行事の存在を台湾で知るとは…。
日本時代に創立した新竹高等女学校。この女学校は今もあります。
石灯籠が…テーブルと椅子になっています。日本人からすると驚きの再利用の仕方ですね。日本ではあり得ないですが、ここは台湾ということで…。こういう驚きも面白いです。
お寺の中に神社の石灯籠があるのはなんとも不思議な光景でした。
次に向かったのは新竹市立動物園。長くなったので次に続きます。
台湾一古い動物園で超レトロな象さん像に出会った。旧新竹神社の跡を追って(2)新竹市立動物園 | KoyaMagazine
Information
『青草湖霊隠寺』
住所 新竹市明湖路1135号
アクセス 新竹駅より車で20分ほど