【台東県鹿野】かつての新潟県人の移民村『鹿野村』にルーツを探しに行く

02.マニアック紀行

台湾東部の台東県鹿野郷に龍田村という場所があります。日本統治時代は『鹿野村』と呼ばれ、その当時では有名な日本人移民村でした。

移民に来ても土地は荒れ果てた場所で、マラリアなどの病気とも闘い、さらに原住民との緊張した関係もある中で、開拓していくのはさぞ大変だっただろうと思います。

終戦後日本人はみな日本へ引き揚げ、残された場所に台湾人達が移り住みました。現在はパイナップルや釈迦頭などの農作物が有名な農村地帯です。

で、ここの移民村、何が面白いかというと新潟県出身者が多かったということなんです。

他の移民村は九州など南部が多かったけれど、ここの移民村は新潟県と長野県からの移民が多かったらしい。

知り合いにこの村にいたという日本人はいません。しかし、新潟県出身者としては、是非とも行ってみたい。

自分と台湾の繋がりを確認したいような気持ちに駆り立てられ行ってきました。

スポンサーリンク

龍田村(旧鹿野村)とは

政府が斡旋した官主導ではなく、台東製糖会社主導で大正4年(1915年)から入植が始まった日本人移民村。日本人は新潟県と長野県の出身者が多かったと言われています。多いときには1350人もの人々が住んでいました。

村の名称について

移民村当時の名前は鹿野村なのですが、その後龍田村と名称が変わっています。現在ある鹿野村を探すと、かつての移民村とは別の場所が出てきます。ちょっとややこしいですね。

日本統治時代の名前は鹿野村なのですが、ここのページでの名前は現在の『龍田村』で名称を統一します。

龍田村までは駅から歩いて20分

最寄り駅は鹿野駅。最近出来たような新しい建物です。

駅を出るとすぐに…

日本家屋がお出迎え。一部は売店になっていました(閉まってたけど…)。

さあ、ここから歩いて行きます。

 歩いて見えてくる風景は平野!田んぼ!山!

どことなく新潟と似ています。移民に来た人々も景色を見て故郷を思い出したことでしょう。

少し坂を登り、丘の上に龍田村はありました。

道幅が広く、まっすぐな道です。計画的に作られた村だということがよく分かります。

台湾だとこういうまっすぐな道は少ないので、長く続く直線の道があったら日本時代に作られた都市計画に沿ったものである可能性があります。

龍田村の地図。こんなふうに碁盤の目のようになっています。

多くの家は現代的なものに立て替えられていますが、日本時代と思われる木造家屋も一部残っています。でもほとんど廃墟だったり、家の納屋だったりします。

地元の人々に支えられている旧鹿野村役場(鹿野区役場)

こちらの日本時代の建物、旧鹿野村役場は保存されて残っています。

泊まった宿のオーナー・ジェイミーさんによると、この建物を政府は取り壊すつもりだったが、残すべきだと考える地域の人々によって管理されているとのことでした。土日にここでフリーマーケットを開き、その売上金の一部をここの管理費と修繕費にしているそうです。

台湾の政府が造った建物は造ったあ後は管理がずさんで、すぐにぼろぼろになってしまうことも多いのですが、ここは地域の人々によって残されていくでしょう!

再建された鹿野神社

最近再建された鹿野神社です。日本の宮大工を呼んでつくられたもので、造りはしっかりしています。

見たところ普通の神社なのですが…。

こちら、泊まった宿のオーナー・ジェイミーによると、政府が勝手に建てたものだそうで、地元の人からするとただの箱モノだそうです。

地元の人は別に参拝はしないし、あっても意味がない、と。そこに税金を使うなら近くにある台湾で最初にできた託児所(同じく日本統治時代の建物)にお金をかけた方が意味があったのではといいます。

確かに、台湾の人々は彼らの宗教があり、神社に参拝する人はほぼいません。観光のために神社を再建しても、人々が使わないのであれば本当にただの飾りです。

神社を目の前にしたときに心なしか、この神社には「何か足りない」「何かが欠けている」そんな感覚を覚えました。

龍田文物館

その神社のすぐ隣にある廟の中に龍田村の歴史を紹介する龍田文物館があります。

昔使われていた小道具が残されています。ところどころ最近のものと思われるもの(70年代くらいのレコードとか)もあったのですが、そういう緩いところは台湾らしさ。

龍田村の歴史についての解説ボードもありました。

新潟県からの移民が多かったという記述がありました!

台北ナビさんのHPに訳があったので引用させていただきます。

大正4年、龍田村に台東製糖株式会社の内地人移民村ができましたが、大変計画的に造られ、一戸当たり500坪ほどの敷地を持つことができました。碁盤の目に区画された跡は、現在の美しい龍田村の原型となっています。

初期には200戸ほど600人余りの人たちが暮らし始め、多い時で1350人にもなり、台湾東部で最大の移民村を形成しました。

多くが新潟県から来た人たちで、農業技術以外に建築、木工、水道、電気、家具や浴槽造りの職人たちも移住してきため、移民村には青年会議所や医療所、銭湯までもが作られました。大正6年には尋常小学校もでき、後に託児所や高等学校までも設立しました。

校長先生の家

龍田村には日本人の子ども達が通う学校がありました。鹿野尋常高等小学校と呼ばれ、現在は龍田國小となっています。そこの小学校の校長先生が住んでいた宿舎が保存されています。

中に入れないのが残念ですね。結構老朽化が進んでいます。

台湾で一番最初にできた託児所

先ほど少し述べた託児所です。昭和3年(1928年)にできました。

台湾で一番古い託児所です。

雨漏りがするのかビニールシートがかかっています。台湾東部は台風が多くしかも威力も大きいので、建物への被害も大きいです。

日本家屋の内部を見学!

歩いているときに、1つ気になる日本家屋がありました。他の日本家屋は人が住んでいる気配がなかったのですが、ここだけ人が住んでいるような感じがしたんです。

一通り他の場所を見終えて戻ってくると、そこの日本家屋の扉が開いているのを発見しました。

恐る恐る入って見ると出迎えてくれたのが日本語世代のおじいさんの林さん(82歳)

(内心、キタ━(゚∀゚)━!と思いました。笑)

小学校の数年しか日本語を勉強していなくて日本語は忘れたと言いつつもいろいろ教えてくれました!

ここは林さんの奥さんの実家で、今この家には誰も住んでいないけれど、全国にばらばらに住んでいる兄弟達が年に4回集まって来るそうです。

今回はたまたまその帰ってきているときで、みなさんが次の日にここを発つというタイミングでこのおうちを見学させてもらえたのは本当にラッキーでした!

建物の中は一部改築したそうです。かつての廊下と畳の部屋を土間にして、台湾人の生活に合わせたとのこと。

おうちの中に入ると、日本にももう残っていないような昔ながらのおうちという感じで、「やべえ、日本に帰ってきたわ~」と思うくらいでした。

林さんと話をしていると、林さんの奥さんの弟、四郎さん(60代)がやってきて、また色々と教えてくれました!

(台湾には日本語世代でなくても日本人のような名前を持っている人がいます。両親が日本語世代で子どもに日本人のようなの名前を付けたということも多いのです。)

この日本家屋は古いし維持するのにお金もかかるので、壊すという選択肢もあったのだけれども、この地域には他に日本家屋はほとんど残っていないし、歴史的に見て価値があるものだから、敢えて残したそうです。

政府からの補助金はもらっておらず、自前で修繕費を出しているとのこと。話を聞いていて四郎さんのすごく熱いが想いが伝わってきます。

日本でも古い木造建築を保存するのにすごくお金がかかるのに、熱帯の台湾ではさらにお金がかかって大変だろうと思います。そこまでして残そうという想いがすごい!

ご家族のお話も少し聞けました。四郎さんのお父さんは日本語世代で、当時入学できる台湾人は非常に少なかった日本人向けの小学校(すぐ近くの鹿野尋常小学校)に入学したそうです。

もともとこの家は日本人が住んでいたけれども、戦後に日本人が帰った後にこの家族はここに移り住んできたとのこと。

ご両親はもう亡くなっていますが、生前はここの移民村出身の日本人の友人に会いに日本に行ったり、文通のやりとりをしていたそうです。

すごいなあ。こういうストーリーが小さな村にも埋まってるんだもんなあ。

沢山話を聞いた後、また遊びにおいでと声をかけてもらい、この場を後にしました。

龍田村はサイクリングにおすすめ!

移民村を求めて私は龍田村に来たのですが、一般的にここは風景が美しい、サイクリングスポットとして有名です。

私も宿で借りた自転車で走ったのですが、気持ちいい!

大通りから外れると、一直線の道がどこまでも続いています。どこまでもどこまでも走っていけるような。車も少ないから、思いっきりペダルを漕いで、全速力で走りたい欲望に駆られます。

私が小学生の頃に「ぼくのなつやすみ」というゲームが流行ったのですが、台湾だとここかいい舞台でしょう。主人公にはここを自転車で走ってほしいです。 

もう少ししたらパイナップの旬だそうで、この日は袋がけ作業が行われていました。

全部パイナップル!

まとめ

新潟県と関わりあるものを探して行ったのですが、正直なところ、あまり見つかりませんでした。

かつて日本人のお墓もあったそうですが、もう日本に戻ったということで今はないそうです。

新潟らしきものは何も残っていなかったけれど、地域の人と話をする中で「新潟」と言うと分かってもらえることも多かったのでその点はよかったなと思いました。

また自転車を借りてパイナップル畑の間を走りに行きたいです。

参考文献 鹿野鄉誌

(訪問日2017年5月24日)

Information

『龍田村』

住所 台東県鹿野郷

アクセス 台鉄鹿野駅から徒歩20分

【関連記事】

台湾の原風景に出会う!台湾東部「台東」おすすめ観光スポット

台湾の田舎にはよそ者にもオープンで意識が高い人々の移住者コミュニティーがあった

【池上】台湾一の米どころは食べ歩きがおすすめ!食べ物6選

【台東】お祭りを見学!ブヌン族のお祭りは伝統的な暮らしを伝える重要な儀式だった(射耳祭)

スポンサーリンク