今回は台湾マニアック観光宜蘭編の続きです。
前回に続き、宜蘭育ちの李さんにご案内いただきました。
以前李さんに宜蘭に遊びに行きたい旨を話したときに、「西郷菊次郎はご存じですか」と聞かれました。
西郷菊次郎…?
どうやら、あの西郷隆盛と関係がありそうです。
何をした人なのでしょうか。
宜蘭の駅前通
タクシーに乗って移動します。
李さんが宜蘭駅の駅前通(昔の三線道路)の昔の様子を教えてくれました。
ここに初めてアスファルトが敷かれたのは、昭和15年(1940年)。
そして半分まで舗装したのだけど、太平洋戦争が始まり、工事がパタッと止まった。一億総戦力で米国と戦うから、この道は作らなくてもよいとなったそうな。砂も砂利も道ばたにほっちらかしてあったとのこと。
当時アスファルトがあったということに驚きます。
なんと、道路の下は暗渠
李さん「今、車通ってるでしょ?この下お堀なんですよ。」
え!?
「今でも水流れてるよ」
宜蘭は、清朝時代、小さいながらもお城があったんです。
円形に道路が走っているのは、昔のお堀の名残だったんですね。
こういうことからも宜蘭が歴史のある場所だということが分かります。
西郷隆盛と宜蘭との繋がり~西郷菊次郎の元官邸『宜蘭設治紀念館』~
1906年(明治39年)に当時の行政長官西郷菊次郎(初代宜蘭県長)の官邸として建てられた和洋折衷の建物です。今は紀念館として保存されています。
西郷菊次郎とは
この、西郷菊次郎さんは、あの西郷隆盛の息子なんです!
米国留学をして、帰国後西南戦争に参加、その後外務省に入り、宜蘭庁長になりました。
今も西郷菊次郎氏の名が残る場所が宜蘭にはあります(後述)。
紀念館の中はクーラーが効いていて、見学者も多くいました。
中には西郷氏の写真、資料、昔の宜蘭の地図が展示されています。
この官舎は当時としては一級の建物だったのでしょう。
今は修復されて外見は新築のようになっていますが、中は昔の雰囲気を残しています。
紀念館周辺は昔役人の宿舎が多くあったエリアです。
設治紀念館の隣には校長先生の宿舎が宜蘭文学館として残されています。
中はオシャレなカフェになっています。
中から千と千尋の神隠しの音楽が流れてきていました。台湾の人にとってはここはノスタルジックな場所なのでしょう。
『宜蘭設治紀念館』
開放時間:火曜日~日曜日 9時~17時
休館日:月、每月最後の1日 、旧正月の除夕
電話:(03)932-6664
入場料 30元
参考 http://www.taipeinavi.com/special/5039680
甲子蘭酒文物館でアイスを
次の目的地に行く前に少し寄り道です。
日本統治時代からあるお酒の工場です。
どんな風にお酒が作られるのか展示がされています。ガイドの人による案内もしていました(中国語で)。
倉庫の中という感じでワクワクします。
少し懐かしいような駄菓子も売っていました。
一番奥にアイスの売り場があります。
タロイモ、小豆、パイナップルの3玉です(45元)。
日本のアイスクリームと違って、そこまで味の主張が強くありません。優しい味です。
田舎の昔ながらのアイスって感じ。おいしい。
『宜蘭酒廠-宜蘭酒工場』
住所 宜蘭縣宜蘭市舊城西路3號
開放時間 午前8時~夕方5時
入館料 無料
参考 http://www.taipeinavi.com/shop/315/
治水事業の功績を称えた『西郷菊次郎の記念碑』
市街から少し郊外にある宜蘭川に、橋が架かっています。
李さん「大きな橋じゃないけどね、昔は西郷橋(さいごうばし)と呼んだんですよ。」(現在は中山橋)
その西郷橋のほとりに西郷菊次郎の記念碑が建っています。
宜蘭川は毎年氾濫を繰り返し、市民は水害に悩まされていました。そこで西郷氏は1年5ヶ月かけて宜蘭川堤防をつくり、人々を水害から守ったのでした。この堤防は西郷堤防と呼ばれました。
西郷氏は1902年に日本に戻りましたが、1905年(明治38年)に有志が西郷氏の徳を称えて、この記念碑を建てたのです。
最近だと西郷氏との関わりが深い鹿児島県との交流も増えているといいます。
記念碑の隣に鹿児島のロータリークラブが寄付した案内板がありました。
この案内板の日本語文は私が訳したのですよ、と嬉しそうに話す李さん。
『西郷菊次郎記念碑(西鄉廳憲德政碑)』
住所 宜蘭県宜蘭市中山路一段
西郷四拍子を知っていますか
宜蘭には西郷氏に関わるものが3つあります。
李さん「西郷橋、西郷堤防、西郷記念碑で三拍子でしょ。
でも私が勝手に一つ足して西郷四拍子って言ってるんです。
四つ目は『西郷手毬歌』」
元々は鹿児島にあったわらべ歌らしい。
その歌を李さんが歌ってくれたのでここに載せておきます。
「一かけ、二かけ、三かけて、四かけで五かけで橋の上。
橋の欄干手をかけて、遙か向こうを眺めれば、十七・八のねえさんが、花と線香手に持って。
ねえさんねえさん、何処行くの。
私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です。明治10年その年に。切腹なされた父上のお墓参りに参ります~」
なぜ李さんはこの歌を知っているかというと、
李さんのお姉さんが幼い頃、鞠をつきながらこの歌を歌っていたということで、覚えていたらしいです。
台湾の子どもが鞠をつきながらわらべ歌を歌っている、そんな時代があったんですもんね…。不思議な感じです。
※Youtubeに歌が載っていましたhttps://youtu.be/rnbguaKQTpo
日本の若い人へメッセージ
88歳ながら、力強く想いを語る李さん。
日本の若い人へのメッセージを聞きました。
「若い人達にもっと知ってもらいたい。台湾にはとても悲しい歴史がありましてね。
今でもその悲劇は続いておりまして。台湾はまだまだ幸せになっていません。
だから、みなさんも台湾に来たら台湾の人と仲良くして、台湾のことを知ってください。
東日本大震災の後は日本と台湾の距離がずっと縮まっているみたいでね。
日本からくる人は(台湾からの多額の義援金に対して)『感謝、台湾』って言ってね。若い人達には大いに交流して欲しい。」
まとめ
「宜蘭の人は素朴でね、いい人達なんだよ」と言う李さんがもう、言葉そのままの素朴でよい人!
知らない人にも気兼ねなく話しかける、この社交性。おおらかさ。
一見いかついタクシーの運転主のおじちゃんとも台湾語で話が盛り上がる。
私が新潟出身なんですと言ったら「海は荒海~」と新潟の童謡を歌い出す。
小学校の頃先生に「人の為に尽くせ、ご奉公」と教えられたという李さん。
「人に尽くすことは悪いことじゃなくて、たまによいこともあるんですよ」と笑うその顔がなんとも晴れ晴れしいお顔でした。
李さんに会いに宜蘭にまた行きたくなります。
(訪問日2017年7月1日)
>>宜蘭のもう一つの話を読む
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