台湾に来てからの6年間を振り返る

06.台湾で暮らす

台湾に2019年にワーホリで来てから丸6年が経とうとしています。
2016年の1年間の語学留学も含めると丸7年台湾ですね。

ひとつひとつの出来事を考えると時間は決して短くなかったのですが、通して考えるとあっという間でした!

振り返りというのは後から読み返すと面白いので、書いていきたいと思います。もっぱら今回の記事は自分が何年後かに見返してあんなこと考えてたのか…と楽しむためのものです。

この6年それぞれの時期を特色ごとに分けると3つくらいになりますかね。

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中国語の修行期

ワーホリでやってきたのは2019年3月末。
そこから観光系の会社で日本人ラオバンの下働いたのでした。

語学留学を1年していたとはいえ、中国語は語彙が少なく聞き取れない…という中国語の修行の時期でした。
50件ほどの旅行会社にメールが届いたかどうか電話をかける仕事は、嫌だなと思いつつ仕方ないと腹をくくって作業に徹したのはよい思い出です。

日本語でも電話は好きじゃないのに、中国語で電話を知らない人にかけなければいけないというね…。中国語をある程度聞き取れる今ならそこまで辛くないとは思うのですが、当時の自分にとっては本当に嫌でしたね…。

その中で私の下手な中国語に対して冷たい態度の人に傷つきながらも、日本語で答えてくれる優しい人に救われつつその電話のタスクをこなしました。

その会社は就労ビザは出せないということで、他の仕事を探すことに。
そこで働き続けたとしても、私に求められるスキルは台湾人と同程度の語学力というハードルがあったので、長くは続かなかったと思います。

ちょうど転職したタイミングで新型コロナが流行り始め、旅行業界は大打撃だったのでそこを離れてよかったなと思いました。

仕事に浸かる期

次に働いたのは日系のベンチャー企業。

就労ビザを出してくれる会社はないかと探してもなかなかよい求人が見つからず、ネットで情報を募集したところそのご縁で入社した会社です。
社長の直下で新しい取組みを社内でいろいろ始める仕事でした。カスタマー部門の仕組み作りや社内のタスク管理アプリの導入、朝礼の導入、社内規定の策定、備品管理、採用、人事総務、オフィス移転などなど。

やることが次々とあり、毎日が刺激的で(いろんな意味で)面白くはあったのですが、プレッシャーも大きく、土日でも仕事のことが頭の中をぐるぐる回っている状態で、余裕がありませんでした。

余裕のなさから、仕事以外の活動(台湾に来た目的である日本語世代への聞き取り、台湾の歴史を知ることなど)から遠ざかります。
平日はぐったり、土日も疲れていて何かをする気力がなかったのです。

自分は何のために台湾に来たのかと考えましたが、コロナ禍になってみんなが外出を控えるようになったため、自分が何もできないことは仕方ないと納得させていました。

コロナ禍が明けてから、タイやマレーシア、香港など海外に行き、海外華人ネットワークの面白さに気づきました。

タイの中華博物館、マレーシアのショッピングモールで聞いたいろんな地域の訛りの中文、変わりつつある香港…。
世界各地の華人がいるところに行ってみたいです。

この時の会社にいたことで、台湾人の嫌な部分見てしまい、人間不信になりました。笑

1つ言えることは、日本人が台湾でマネジメントをする場合、働き方などのルールは台湾の法律に沿ったものにしたほうがよいことです。台湾の法律にはない、日本のみなし残業やフレックスタイムなどは導入しないほうがよいです。法律をよくわかってない日本人が導入すると思わぬ落とし穴があり、後々禍根を残しかねません。

会社の人間関係に疲れたこと、本社の方針で仕事内容が変わる先に明るい未来が見えないこと、マイナス要因に対してそれを上回るだけのプラス面を感じられないで、辞めることを決めました。

体力回復期

ここ数年とても疲れやすく、土曜は午前中から仮眠が必要というのは普通の疲れ方ではないなと思っていました。

中医と言われる漢方医も2年以上は通いましたかね…。それでも改善した気がしない。
ストレスのせいなのか、PMSなのか、腸内環境が悪いのか、体質なのか、ほかの病気なのか全然原因が分かりませんでした。

疲れやすさについていろいろ本や動画を見て、試してみても効果のあるなしを実証し、最終的にたどり着いたのが、「血糖値」でした!

なんだよ血糖値かよと思いました?
いやいやここにたどり着くまでに本当に時間がかかったのです。

血糖値を24時間測る装置(リブレ2)を買ったところ、見事に糖尿病予備軍のグラフができあがりました。
食後高血糖、いわゆる血糖値スパイクというやつだったようです。血糖値が乱高下し、食事後の猛烈な眠気、睡眠中の低血糖による睡眠の質の低下が起こっていました。

血糖値が原因と分かり、食後に歩くようにしたらその日から症状が改善されたのに驚きました。
本当に画期的な出来事でした。

正直まだ体調が万全というわけではなく、体力もないので疲れやすさを感じるときは多々ありますが、以前と比べるとだいぶよくなりました。

2024年は少しずつ外へ出た1年だった

血糖値コントロールを意識し始めたこの2024年から、ようやく土日に予定を入れる気力が出てきました。それまでは土日は不定期で体調不良になるため予定を入れにくかったのです。

2024年は以前から少し関わっていた炭鉱の日台イベントから始まりました。

お世話になっていた炭鉱夫資料館が閉館の危機ということで、閉館前に資料館を見学するツアーを企画しました。そして年末から炭鉱の連続講座を受講開始。ということで炭鉱に始まり炭鉱に終わる1年となりました。

コロナ禍以降あまり行動できていないことに焦りを感じていて、一体何のために台湾にいるのか、生活が楽だからいるだけで、自分がここにいる理由が見つからないという状況でした。

私が台湾に来た理由の日本語世代の方々とお会いする機会がみなさんの高齢化とともに急減し、自分が台湾にいる理由が見つからず、いろいろ模索している中で炭鉱がありました。炭鉱を通じて台湾や日本のことを学ぶのが面白くて続けています。

ここではない何処かへ

ずっと台湾にいるのかというと、どうかなーというところ。どこかふわふわとした根無し草は、一定の土地に根付くのが怖いのです。

海外旅行に行くときは、ここに住めるかという観点で見てしまいます。

ただ今のところ、文化的な興味深さ、生活のしやすさを考えるとどこも台湾に優る場所はなく、自分が住めるのは台湾(もしくは日本)しかないのではないかという仮説が強まっています。笑

台湾有事について

台湾有事の可能性は否定できず、最近の様子を見るとじわじわと真綿で首を絞められ初めているようにも見えます。

台湾社会がもし中国に制圧されたら、社会的なセーフティネットがない1人暮らしの外国人は暮らしづらい状況になると思います。

もし海上封鎖で物資が届かなくなったら、スーパーや市場でものが買えなくなったら。モノを融通してくれるコネクションは私にはありません。服用している薬が手に入らなくなり、健康状況が悪化するかもしれない。

緊急事態の時に日本が迅速に動いて助けてくれるとも思えません。
いざとなったら通常価格の高い航空券を買って自力で台湾を出ることになるのだろうと思っています。

今後の目標は…?

私は未来というものが全然想像できない人間でして、そうなると目標に向かって何かをするというのも難しいんですね。でも2024年から自分の中で密かなる香港ブームが来てまして。

特に最近は日本でも絶賛上映中の香港映画「トワイライト・ウォリアーズ 九龍城寨之圍城」にどハマりしておりまして、心の中は俳優の張文傑さん演じる四仔に持っていかれています。四仔の静かなる憂いのキャラと対照的な張文傑さんご本人の陽キャのギャップもたまらないですね。

いつの日か張文傑さんにお会いできた時のために広東語で簡単な挨拶ができるようにしておきたい。密かな目標です。

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