片倉佳史さん主催のイベント「第2回 台湾を学ぶ会 in 台北」が2017年7月25日(火)に開催されました。
片倉佳史さんと言えば、台湾の歴史から鉄道まで、台湾に関する様々な書籍を出版されている、台湾在住の作家さんです。
その片倉さんが、日本語世代の方や湾生(台湾生まれの日本人)の方をよんで勉強会をするという話を耳にしたので、これはもう行くしかないと思い行ってきました!
第2回 台湾を学ぶ会 in台北
台北市内のとあるカフェで開かれた台湾を学ぶ会。当日は50人を超える大盛況。参加者は日本人がほとんどでしたが、台湾人の方も何人かいました。全て日本語での進行です。
第2回目の台湾を学ぶ会では、片倉さんが聞き役となり、湾生の方をゲストに呼んで日本統治時代について話を聞くというものでした。
今回のゲストは湾生(台湾生まれの日本人)の「新元久さん」
今回のゲストは湾生の「新元久さん」です。現在は日本にお住まいですが、今回は勉強会の為に台湾に来ていただきました。
1931年(昭和6年)台南の麻豆生まれの台北育ち。父が明治製糖株式会社で働いていたため、明治製糖の社宅で生まれました。おじいさんが台湾総督府鉄道部長をつとめた新元鹿之助さんです。戦後は日本に引き揚げて、東京大学農学部に進学しました。
明治製菓株式会社に入社したのち菓子部門(チョコレート)の技術者としてカカオのプランテーションから新商品開発を担当しました。
※製糖産業について
日本統治時代の台湾ではサトウキビから作られる砂糖の製造が大変盛んでした。台湾各地に製糖工場があり、日本本島から多くの日本人技術者とその家族たちが台湾に渡り住んでいました。
台南麻豆でのサトウキビ畑で遊んだ子ども時代
「トロッコでサトウキビ畑の谷間を通っていくと、製糖会社の煙突が見えました」という新元さん。明治製糖の社宅ですくすく育ったそうです。
当時のサトウキビ畑には最先端の蒸気機関を利用したトラクターがあり、それが畑のうねを作る様子は遠くから見ると蒸気機関車が畑を走っているように見えたとか。明治製糖が積極的に最先端の技術を取り入れていたことがうかがえます。
新元さんが「日本に戻ってから本当に食べたくてしょうがなかったのがマンゴーです」と言うと、片倉さんがマンゴーについてさらに解説を加えます。
台湾のマンゴーは今でこそ愛文マンゴーが有名で、赤い色のイメージですが、新元さんが子どもの頃はマンゴーではなく「ソワヤ(台湾語)」と呼び、外は青くて中が黄色のものが一般的なマンゴーでした。今は「土様仔」「土芒果」と呼ばれ、生産量は減ったものの、普通に売られています。
台北の思い出
現在の西門町の近くにあった栄町通り。かつては菊元百貨店がありました。
そこでの思い出を新元さんに尋ねると「5階か6階におもちゃ屋がありまして、そこで木琴を買ってもらったことを覚えています」とのこと。その木琴は生涯の趣味になり、今も自宅に大きな木琴があるそうです。
現在の台北駅の近くに国立台湾博物館と二二八和平公園があります。日本統治時代は台湾総督府博物館、台北新公園と呼ばれていました。
片倉さんが「この博物館には民政長官の後藤新平の銅像があったのですがご存じでしたか」と言うと、
新元さんが「そうだったんですか。学校で写生の時間にここに行って銅像を描いたんですけど、誰かも分からず描いてました」と、会場の笑いを誘うような場面もありました。
新元さんは台北に引っ越してきてからは台湾総督府立台北第一師範学校付属小学校に通いました。そこは「おぼっちゃま学校」とも呼ばれ、大正時代当時の皇太子(後の昭和天皇)が台湾行啓の時に授業参観に行ったというほどの学校で、官僚や教授の子どもが通うような学校でした。
戦後クラスメイト達が日本に引き揚げた後みな音信不通になっていたといいます。しかし、東京大学に入学してから驚いた。なんと40人のうち10人が東大に進学していたのです!いかに優秀な人達が集まる特殊な学校だったかということが分かります。
台湾での思い出が「きのこの山」の開発につながった!?
生まれた直後にサトウキビの産湯に浸かったほど甘党(笑)の新元さん。
なんと、みんなが大好きなお菓子「きのこの山」の生みの親なんです!!!!!
その食に対する嗜好は台湾での暮らしによって形成されたといいます。子どもの頃に食べたチョコレートやバターキャラメルの味が、戦後の食糧難で甘い物を食べられない時代に頭の中で洗練されていき、自分の理想のお菓子を作ったら「きのこの山」や「チェルシー」になったとのこと。
まさに、台湾なくしてきのこの山は生まれなかったということになりますね。自分が子どもの頃から慣れ親しんできたお菓子の生みの親に会えて、感激しました。
今回学んだこと
台湾を学ぶ会はあっという間の2時間半でした。ここに書いたこと以外にも面白い秘話を聞くことができました。皇太子の台湾行啓、台湾総督官邸、鉄道ホテルの食事等々、書き切れないのが残念です。
会に参加した後は、ディープな台湾を学べたという満足感と共に、まだ台湾のこと全然知らないやーという気づきも得ました。参加できるなら毎回参加したいです。
新元さんは86歳というご高齢ながら、子ども時代の記憶は鮮明でとても楽しそうに思い出を語っていました。台湾への想いがいかに強いかということが伝わってきます。
会が始まる前にも「身体の調子が悪くても台湾にくると何故か元気になるんです」とおっしゃっていました。
片倉さんの解説もテンポが良く、内容もディープで話に引き込まれます。
台湾のことをもっと知りたいという方には、本当におすすめの会です。
この「台湾を学ぶ会」は日程及び会場は不定期で、開催情報は決まり次第、台湾を学ぶ会(臺灣研究倶楽部)のフェイスブックページや片倉さんのTwitter・Facebookで配信されるということです。興味のあるかたは是非情報をチェックしてみてください。
Information
『台湾を学ぶ会(臺灣研究倶楽部)』
片倉佳史さんが聞き役となって、各方面のエキスパートからお話しを聞きます。台湾の日本語世代の老人や「湾生」と呼ばれる引揚者、戦争体験者から話を聞き、台湾への理解を深め、台湾について、そして、日本について学ぶ楽しみを追究していく会です。
フェイスブックページ 台湾を学ぶ会(臺灣研究倶楽部)
片倉佳史さんのホームページ 台湾特捜百貨店 – 片倉佳史の台湾体験
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