台北郊外にある「烏来」。
ここは台湾の原住民のうちタイヤル族が多く住む地域で温泉郷として知られた観光地です。週末は人でいっぱい。
今回は烏来に詳しい台湾人のメットさんの案内で烏来の奥地まで行くことができました。
台湾で徒歩で歩きつつ日本人を探すという試みをしに来台していた稲村行真さん(大学の後輩)も一緒です。
日本統治時代に台湾で2番目にできた亀山発電所
ここは日本統治時代に台湾で2番目にできたという亀山発電所(現在の名前は桂山発電所)。隣に流れる南勢渓の水力を利用した水力発電所です。
メットさんによると、発電所を建設した後に川の周りに人や動物が入らないように柵を作り電気を張り巡らしたところ、原住民の人たちが近寄らないようになったといいます。
日本統治時代に電気柵があったというのが驚きで、地元の古老に当時の様子を聞いてみたいです。
<参考> 台北州(台北州文山郡)亀山発電所構内神社 :ブログ「台湾に渡った日本の神々—今なお残る神社の遺跡」よりhttps://blog.goo.ne.jp/jinjya_taiwan/e/06092ff343b4356a974ba4436e4e867c
集落の中に入る
集落に入ると、見張り台がありました。
どんな景色が見えるのか、登ってみたいという衝動に駆られます。
山道を進んで行くと、犬が道の真ん中で寝ていて通せんぼ。車が近づいても全然動いてくれません。
車が目の前まで近づくと「やれやれ」という感じで道をあけてくれました。のんびりした感じが台湾らしいな。
福山部落はタイヤル族が住み始めた最初の烏来地区
レストランが立ち並ぶ賑やかな老街からさらに車で30分ほどのところに福山部落はありました。
景色が良いからか大きなカメラを持った人が先客でいました。
確かに良い眺めです。
台湾中部の南投から桃園、さらに北へと移動して来たタイヤル族の人々が、最初に入った烏来の土地がここだといいます。
今もタイヤル族の人たちが住んでいて、台北や近くの老街に働きに行く人が多いそうです。観光シーズンにはホテルでお金を稼ぎ、閑散期には山で狩りをする生活をしている人もいるとか。
原住民の人には許可制で銃の所持が認められているとのこと。ただし、日本とは違って仕留めた動物の肉を売ることは許可されていないそうです。
日本時代に敷かれた水道(自來水)
ここの集落の面白いところは、日本統治時代に山の上の方から集落まで水を引いたというところです。現代でいう水道ですね。集落の近くに川はありますが、やはり急勾配を下がらなければならないので不便です。
現在もその水路は残っています。
私が集落を訪れた時には地元の人やボランティアによって水路の清掃が行われていました。定期的に手入れをしないと落ち葉が詰まってしまい水が流れなくなってしまいます。
定期的な手入れをしないといけないものが、こうして100年以上も使われ続けているというのがすごいですね。
集落の高台にある派出所から見えたもの
この集落にも派出所がありました。
台湾において原住民の集落にある派出所は、日本の交番とは少し意味合いが異なってきます。
日本統治時代に原住民の集落には派出所が置かれました。
高台の、集落全体が見える場所に。
日本の警察が原住民の人たちを見張り監視していた場所というわけです。
100年も前に建てられたものが、時代が変わった今でも同じ高台にあるというのが、自分にはなんだか不思議に思えたのです。
日本から来た警察官はどんな思いでかつてここに立ち、
ここで暮らしたタイヤル族の人たちはどんな思いでこの派出所を見ていたのだろうか。
私も派出所からあたりを見回してみましたが、周囲の建物が高くなったので見晴らしはよくありませんでした。
集落の様子が変わっても、派出所が今も昔も変わらず高台にあるというのが、歴史が今まで繋がっていることを伝えています。
写真を取っていると警察官の人が派出所から出てきて「ここは(放し飼いの)犬がいるから、危ないよ」と言われ、この場を後にしました。
他の原住民の集落でもよく見かけるキリスト教の教会
キリスト教カトリックの教会がありました。
日本統治時代の後、キリスト教の宣教師が多く台湾に入っており原住民の集落を中心に信者が増えました。
その理由としては当時貧しい原住民の集落に宣教師たちが食料を持って来たこと、それとそれまでの統治者である日本人・漢人のものではない自分たちの信じるものが欲しかったからとメットさんは言います。
日本人は神道、漢人は道教や仏教を信仰の対象として持っていました。
原住民の人たちはそれではないキリスト教を選んだんですね。
確かに原住民の集落に行くとカトリックやプロテスタントの教会をよく見かけます。
どんな風に広まっていったのか、調べてみたい。
ゆく河の流れは絶えずして
集落を見下ろすように立つ派出所が私には強烈に印象に残りました。
一見なんの変哲もない普通の集落。
しかしそこには確実にその昔日本人がいて、どういう立場でこの集落を見ていたかというのが非常に分かりやすい形で表されていました。
そして一方で現在も使用されている水路。
今も地元の人たちに丁寧に管理されているというのが印象的でした。
時間というものは絶えず流れ、これからどこに流れるかは分からないし時に蛇行することもあるけれど、流れた跡はくっきりと残るものなのだと思ったのでした。
この時一緒に行った稲村行真さんが同じ日のことをブログに書いています。私とは違った視点で書かれているので、そちらもよかったらご覧ください。
●台湾原住民の村「福山部落」を訪問、日本と台湾の繋がりを考える (稲村行真ブログ「旅してみんか?」より)
Information
住所 新北市烏來區福山部落
(2019年11月24日訪問)