バシー海峡戦没者慰霊祭で青い海に手を合わせる

02.マニアック紀行

目の前に広がる青い青い海。
まぶしいほどの青さが目に染みます。

海の向こうにはさらに南方へ向かう大きな船の姿が見えました。

こんな美しい海で、多くの船が潜水艦の魚雷によって撃沈されたなんて、信じられない。

台湾最南端の鵝鑾鼻(ガランピ)岬の目前に広がるのはバシー海峡です。

このバシー海峡での戦没者に対する慰霊祭が、毎年11月に台湾の潮音寺で行われています。

→2024年は11月17日(日)に開催予定です。申し込みはこちら

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バシー海峡とは

「海軍艦艇の沈没精密図」より ○は沈没位置を表す。

台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡は今も昔も多くの船舶が行き交う海洋交通の要所です。

太平洋戦争中に多くの船舶が撃沈され、“魔の海峡”、“輸送船の墓場”と恐れられました。
犠牲者は少なくとも10万、最大26万人とも言われます。

潮音寺とは

潮音寺は台湾最南端の猫鼻頭に位置する、故中嶋秀次氏(2013年10月、92歳で死去)が建てたお寺です。
中嶋秀次さんの乗っていた船(玉津丸)は1944年8月にバシー海峡付近にて撃沈されます。

それから12日間も海を漂流し奇跡的に生還を遂げた中嶋さんは、バシー海峡で戦死した戦友たちのためにその半生と私財を投じ、1981年に潮音寺を建立しました。

バシー海峡戦没者慰霊祭に参加する

バスに乗って高雄を出発

潮音寺のある猫鼻頭までは交通が不便なため、慰霊祭当日はバスが用意されています(要事前申込)。
高鉄左営駅を出発してから約2時間の道のりです。


初めに参加者の自己紹介があります。ご遺族を始め、日本から来る人、台湾在住の人、毎年のように参加している人、何回目かの人、初めての人など。一人で参加する人が割と多いです。

途中のトイレ休憩では海辺の休憩所に止まるのですが、白い砂浜と青い海を見ると近づいてきたなという感じがしますね。

潮音寺での慰霊祭

バスを降りるとジリジリとした強い日差しが照りつけます。
潮音寺は真っ白な壁に青のペイントが印象的な建物。
潮音寺の2階に本堂があり、大きな窓からはバシー海峡を望むことができます。

2023年の慰霊祭では、吉田宗利住職(佐賀県 臨済宗南禅寺派禅林寺)が読経をされました。
吉田住職はバシー海峡にて撃沈された駆逐艦「呉竹」の吉田宗雄艦長のご子息です。

コロナ禍以外の慰霊祭で毎年読経を挙げてくださっています。

弔辞に耳を傾ける

慰霊祭では複数名の方による弔辞が読まれます。
弔辞が形式張ったものではないのがこの慰霊祭の特徴だと思います。
耳をすませるとみなさんそれぞれ思い思いの言葉を紡いでいるのが分かります。


今回も思わず涙するような場面がいくつもありました。
お父様がバシー海峡で亡くなったご遺児の方が「お父さん、こんなに近くで話ができると思うのはもうないかもしれないから」と弔事を通してお父様に戦後のご自身とお母様の暮らしを報告する様子は胸に込み上げるものがありました。


参加される場合は、ぜひ慰霊祭での弔辞に耳を傾けてほしいです。

海岸にて献花

潮音寺近くの海岸に移動します。

波は穏やかに見えますが、風が強いです。

一人一つ菊の花を持って献花します。

バシー海峡でご家族が亡くなった方々は、亡くなった場所がはっきりせず、遺骨も家族の元に戻っていない場合が多いです。

これまでどこで亡くなったのか分からなかったけど、バシー海峡だったことが最近ようやく分かって慰霊祭に参加しましたというご遺族の方もいらっしゃいました。

台湾最南端の鵝鑾鼻(ガランピ)岬にてバシー海峡を望む

家族の遺骨が眠る場所に一番近いところに行きたいというお気持ちに添い、バシー海峡に一番近い鵝鑾鼻(ガランピ)岬が慰霊祭ツアーの最後に組まれています。

バスの降り場から少し距離があります。歩いて10分ほどで岬に着きます。

台湾最南端の地として観光地になっているため、観光客が多いです。

2023年の時は大きな船が遠くに見えて、慰霊祭Tシャツのデザインのようだね!と盛り上がりました。大学生ボランティアの二人が一生懸命作ってくれたとても素敵なオリジナルグッズがあります。

バスで高雄に帰るまでが慰霊祭ツアー

鵝鑾鼻岬の後は高雄に向けてバスは出発します。

このバスの中で慰霊祭の感想を参加者のみなさんにシェアしていただく時間が私はとても好きです。

そこで語られるみなさんの想いが、朝のバスの自己紹介の時と全然違うんです。言葉が溢れ出てくるんですね。
慰霊祭に参加する目的は様々ですが、各々深く感じるところがあったことが伝わってきます。慰霊祭やバシー海峡がいろんな人の想いを刺激するのだと思います。

毎年帰り道は渋滞になるので、台北への新幹線のチケットは時間に余裕を持っておいた方が良いと思います。

台湾の人々によって支えられていることを心に留める

バシー海峡戦没者慰霊祭は2015年に第1回目が開かれ、2024年で第10回目になります。

これまで慰霊祭を続けられてきたこと、そもそも潮音寺がずっと管理され続けていることは台湾の人々の存在なしに語ることはできません。


潮音寺が建ってから既に43年。中嶋さんが他界されて10年以上経っています。
なぜ潮音寺はいまも維持されているのでしょうか。

そこには中嶋さんがお寺の建設場所を探している時から潮音寺をずっとサポートされている鍾佐營さん吳昭平さんご夫妻の存在があります。


20代の頃に中嶋さんと知り合い、亡くなった仲間たちを祀るお寺を作りたいという中嶋さんの気持ちに打たれて、お寺の土地探しの時から手伝った鍾さん。
現在の土地の地権者は鍾さんで、お寺の管理を行っています。

想像できない時間とお金と労力を使ってお寺を維持されていることと思います。いったいどうしたらそこまでできるのでしょうか。
鍾さんたちの詳しい話はぜひ権田猛資さんのYoutubeをご覧ください。

また、戦争中海岸に流れ着いた遺体をひとつひとつ火葬してくださったのも現地の台湾の方々です。毎日どれだけの遺体が流れ着いたことでしょう。

そういう方々の存在を知ると、自分も何かできることをしたいと思えてくるのです。

私にとってのバシー海峡戦没者慰霊祭とは

私がバシー海峡戦没者慰霊祭に当日ボランティアとして参加させていただくことになったのは8年前の2016年のこと。

それまでバシー海峡という言葉を聞いたことはなかったし、十万人以上の人が戦時中にそこで命を落としたこと、流れ着いた遺体を台湾の人たちが火葬してくれていたこと、生き残った元日本人兵士が戦友達を弔うためにお寺を建てたこと、それに心を打たれて今日まで支え続けている鍾さんご夫婦のことなど、全然知りませんでした。

初めて参加した時に高台の岬から見た、吸い込まれるような青い海の衝撃を忘れられません。遺族の方から想いを聞き、参加者の皆さんやボランティアメンバーとの出会いを通じて、年に一度の慰霊祭自体が私にとってはとても大切なものになっていきました。

できる限り今後もボランテイアとして参加し続けたいと思います。

バシー海峡戦没者慰霊祭に興味のある方にはぜひ一度慰霊祭に参加してみてほしい。来てみて、それぞれの心に何か残るものがあったら嬉しいです。

2度目の死が来ることのないように

渡邊実行委員長が帰りのバスの中で毎年参加者の方に伝える言葉があります。この言葉で今回の記事を締めくくりたいと思います。


「『人間は2度死ぬ』と言われています。1つは肉体が滅びる時、もう1つは人々の記憶から忘れ去られた時です。私たちは、戦没者の方々に2度目の死が来ることのないよう、慰霊祭を続けていきたいと思います。」

バシー海峡戦没者慰霊祭への参加方法

慰霊祭は毎年11月に行われています。

参加申し込みはバシー海峡戦没者慰霊祭の公式サイトからできます。

バシー海峡戦没者慰霊祭公式サイト

バシー海峡戦没者慰霊祭Facebookページ

潮音寺の参観方法

慰霊祭は直接現地に行くこともできますが、交通が不便なため、慰霊祭実行委員会のほうで用意している高雄発のバスに乗ることをおすすめします。
また、潮音寺は普段開いていません。もし慰霊祭の日程以外で潮音寺を訪れたいというかたがいましたら事前に潮音寺管理委員会に連絡をして管理者の方から鍵を借りてください。

バシー海峡戦没者慰霊施設 潮音寺管理委員会公式サイト

おすすめ書籍「慟哭の海峡」

中嶋秀次さんや潮音寺を建てるまでの経緯について詳しく知りたい方にはこちらの本をおすすめします。

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