私はその日、宜蘭(ギラン)に向かうバスに乗っていました。
宜蘭…。
かつて神風特攻隊の出撃基地があった場所です。
第2次世界大戦末期に多くの若者たちが太平洋のアメリカ軍の軍艦を目指して飛び立った地です。
若者達はどんな思いでその場所にいたのだろうか、
飛行場は今はどんな風になっているのか、
それが知りたくて宜蘭へと向かいました。
案内してくださった李英茂さん
案内をしてくださったのは、かつてご自身も学徒兵だった経験を持つ李英茂さん(88)。
日本統治時代、17歳まで日本語で教育を受けていました。
今も日本語で和歌をたしなむ、人当たりの優しい、まさに好好爺というおじいさんです。
今回アポを取り特別にお話を伺うことができました。
宜蘭飛行場とは
宜蘭は台湾の北東部に位置します。
日本統治時代に宜蘭には3つの飛行場がありました。北機場、南機場、西機場。このうち北機場は民間機も飛んでいました。
この宜蘭飛行場は第2次世界大戦末期に神風特攻隊の若者たちが太平洋のアメリカ軍の軍艦を目指して飛び立った場所で有名です。
飛行機の格納庫が残る『員山機堡』
まずは員山機堡へ。
この半円の建物は掩体壕(えんたいごう)と言って、かつて飛行機を格納していた格納庫です。
8月の展示に向けての準備で閉まっていました。
しかし運が良いことに中に係の人がいて、写真だけ撮らせてもらうことができました。
かつてこの員山機堡一帯は竹林だったそうです。
飛行機は掩体壕に格納し、
敵機から見えないようにするために、上に竹をかぶせて隠したとのこと。
格納庫の隣に今は小さな資料館ができていて、当時の写真や資料を見ることができます。
『員山機堡』
電話:03-9227181
住所:宜蘭縣員山鄉金山東路398號
飛行機を運ぶ仕事があった
次の南機場へ向かう道。そこをタクシーで走っているときに李さんが
「ここはね、飛行機を押す仕事があったんですよ」
と言いました。
飛行機を昼間飛ばして夜に格納庫まで運ぶ仕事があったらしい。
一直線に伸びる道路。こんな長い距離を押して運ぶなんて、信じられない。
草むらの中に今も残る防空壕
一面に広がる田んぼ。
李さん「今はみんな田んぼ。でも昔は田んぼじゃない。飛行場だったんだ。」
「ところどころにね、田んぼの草むらの中にね、飛行機を隠すための防空壕(さっきの格納庫のこと)、兵隊が退避するところ、まだ残っています。」
確かに、田んぼの一部に草むらがあります。
あまりに草が多いので確認はできませんが、中に防空壕があっても不思議ではない雰囲気でした。
「今は雑草が生えて荒れ果ててしまっているけどね、知る人ぞ知ることです」
特攻隊が飛び立った『宜蘭南機場』
八角形の建物が田んぼのど真ん中にあります。
ここはかつての管制塔。
飛行機の離着陸時の空の監視、敵機来襲に備えるための塔です。
監視塔の周りは整備されていて、公園のようでした。
特攻隊員が寝泊まりした仮宿舎は木造だったため、もう残ってはいません。
戦争当時、宜蘭の街の中には特攻隊を慰問する料理屋があったそうです。
この日は快晴。宜蘭の対岸にある亀山島(きざんとう)もよく見えました。
写真の奥に見えるのが亀山島です。よく見ると亀の形に似ています。
この道路はかつて滑走路でした。亀山島に向かってまっすぐに伸びています。
李さん「滑走路がずっと東に伸びていて、亀山島が浮かんでいて。
特攻隊はパーっとそこから飛び立って、亀山島の上を通ってね。
すぐ沖縄海域で、機動部隊につっこんで、そのまま…。」
九州の知覧から来る特攻隊と台湾から行く特攻隊で、挟み撃ちの形で米国の機動部隊に突撃しました。
護国の花と散った友とのエピソード
ここに来ると、いつも感無量という李さん。
中学校の同級生に忘れられない友人がいるといいます。
それは沖縄出身の吉野さん(男性)。
中学一年のトイレ掃除の時に喧嘩になったそうです。
「吉野は僕より背が高くて、太くて力が強い。げんこつで何度も殴られたんだ。もうお星様(が見えるくらいに)」
それからずっと「や~お前殴ったな、一生涯恨んでやる」と思っていた。ずっと。
ところが、終戦から数年たった同窓会で
「吉野が特攻隊で亡くなったよ」というのを聞いて
途端にどっと涙が溢れてきて、
「吉野、もうお前を憎まないよ。
許してあげる。
お前はお国のために花と散ったからね、許してあげる」と思ったという。
10年ほど前までは暇を見つけてよく飛行場まで見に行っていたそうです。
最後に李さんが友人に向けて詠んだ短歌をご紹介します。
「翼折れ 護国の華と散りし君 南海の雲 紅く染まりて」
まとめ
この日は澄み切った青い空がとてもとても綺麗でした。
こんな美しい風景の中に眠る特攻隊の歴史…。
飛行場の面影は今はほとんどありません。
けれども李さんからお話を伺うことで、そんな遠い昔の話ではなく、確かにここに人々がいたのだということを感じることができました。
やはり人から直接聞くと全然心への伝わり方がちがいます。
こういう話を戦争を体験した方から直接聞ける機会はもう本当に貴重になってしまいました。
今回お話をしてくだった李さんももう今年で88歳です。
自分ができることは、彼らの歴史の証言を記録しておくことだと強く思いました。
(訪問日2017年7月1日)
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宜蘭の名ガイドに知られざる宜蘭の歴史を案内してもらう~西郷菊次郎と西郷四拍子~
Information
『宜蘭南機場』