他人の歴史を聞いていた私が、自分のルーツに興味を持った理由

06.台湾で暮らす

最近自分のファミリーヒストリーをまとめようと思い、日本の親戚を訪ねる計画を立てています。

私はもともと自分の先祖にはあまり興味がなく、特に何もしていませんでした。有名なご先祖様がいるとかだったら違ったかもしれませんが、一般庶民なので深掘りしても仕方がない気がしていたのです。

そんな私ですが、台湾で10年ほど日本語世代の方から話を聞き続けたことによって、自分のルーツに関心をもつようになりました。

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日本語世代のおじいさんから言われた言葉

日本統治時代に日本語教育を受けたお年寄りから昔の話を聞くのが好きすぎて、台湾に来た私。長い間お世話になった張文芳さんというかたから言われた言葉がずっと心に残っていました。

「僕たち(日本語世代)から話を聞くのもいいけど、親御さんたちの話も聞けるうちに聞いておいたほうがいいよ」、と。

そのときはピンとこなかったのですが、帰省するたびに親が老いていくのを見るにつれ、張さんが言っていたことはこういうことだったのかなと思うようになりました。   

また、90代以上の日本語世代の方からお話を聞く中で、「もっと早く聞くことができていたら」と感じることが何度もありました。10年前20年前ならもっと鮮明な記憶や多くのエピソードを聞けたかもしれません。

親は70代前半。今ならまだ話を聞くことができます。

私の親は戦後生まれですが、高度経済成長以前の暮らしを実体験として語れる世代です。幼い頃は茅葺き屋根の家に住み、お風呂は薪で焚く暮らしをしていたそうです。

彼らがいなくなったら、聞けなくなることが大きいなと。

バシー海峡慰霊祭での「自分は本当に遺族ではないのか?」という問い

私は台湾で毎年11月に行われるバシー海峡戦没者慰霊祭にボランティアとして参加していました。

私自身は遺族ではないのですが、戦没者の遺族が集まる慰霊祭に参加しているうちに、

「自分は本当に遺族側ではないのか?」という疑問が出てきたのです。

 

そして自分の家系にも戦争で亡くなった人がいたことを思い出しました。

そういえば、母方の親戚で亡くなっている人がいるし、祖母の兄弟も戦死したと聞いたことがあるな。

でも彼らがどこで戦死したのかは知らない。

もしかしたら、バシー海峡と関係がある可能性も捨てきれないなと。

(調べてみたら、母方の親戚は太平洋戦争時にビルマで亡くなっていました。ビルマに行く際、バシー海峡を通って行った可能性はあります)

親戚宅で見せてもらった「最新大日本鉄道地図」の中に台湾が載っていました。東京日日新聞 昭和5年1月1日発行

祖母の兄弟が中日戦争で戦死していることが分かりました。その当時敵国の中国とは、中華民国。 東京日日新聞 昭和11年1月1日発行

また、国のために戦争で死んだ若者たち。

彼らのことは親戚の中でも代が変われば静かに忘れ去られていくことでしょう。それは仕方のないことです。

けれども、自分がそれでいいのか、共通の祖先を持つ彼らの名前さえも知らないのはあまりにも寂しいことではないかと思ったのです。

このようにして、自分のルーツに関する興味が湧き始めました。

こやま
台湾では若くして亡くなったりした無縁仏を「好兄弟(よい兄弟)」と呼び、年に一度中元節に供養を行います。忘れ去られてしまう魂の存在を弔う風習が自分の考えにも影響しているような気がする。

親に聞いてみる

私は日本語世代からお話を聞くのは、自分の祖父母たちから十分に昔の話を聞けなかった後悔もあるのですが、視野を広げてみればまだ他にも昔の話を聞ける人たちはいるんですよね。

自分のルーツについて調べようと思った時に、まず聞いてみたのは母。

すると親戚についてかなり詳しいことが分かりました。

母は長子の長女なので、母方の親戚関係に誰よりも詳しいのです。

当たり前のことかもしれませんが、親世代からも話が聞けると気がついたんですね。それが発見でした。

祖父母以外にも話を聞ける人たちがいたことに気づく

祖父母の兄弟や従兄弟たちもまだ僅かに存命です。

祖父の従兄弟にはよく考えたら10年以上も前に何度も会っていました。それでも彼らに話を聞こうという考えが全くなかったんですよね。会った時に話はしてくれていたのに、それを聞くアンテナが私にはなかったのです。

 

みな90歳近いので残された時間は限られてます。

なぜもっと早く気づけなかったのかとは思うのですが、今の自分だからこそ聞ける話があるのだと鼓舞しています。

 

いまから話を聞いても、何か歴史的な発見があることはないでしょう。

その家族にしか伝わらない、平凡な家族のファミリーヒストリー。

家族が聞かなければこのまま消えてしまうような話だからこそ、自分が聞く意義があるのだと思います。

また、亡くなってしまえば話を聞くことはもうできません。だからこそ、いま話を聞ける人たちの声を残しておきたいと思うのです。

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